障害児を産んだ私が戦っていたもの
これまでの経緯を順に綴っていて
今、ちょうど、障害児が生まれてから、
絶望し、葛藤し、そして精神が崩壊していく頃の
お話に差し掛かったので
あらためて、その絶望や葛藤・・・
そもそも、障害児が生まれることが
なぜ、そんなに衝撃だったのかとか、
私は何と戦っていたのだろう
とうことを
色々と気付いた今の視点から
振り返ってみました
この頃
どうして私だけこんな思いをしなくてはいけないの?
この子は何のために生まれて、
何のために生きているのだろう。
生きる意味なんてあるのだろうか。
私を苦しめるために生まれてきたの?
とばかり思っていたり
友人や兄弟の子の成長に、
急に涙が止まらなくなってしまったり。
そんな真っ暗な日々だったのですが
それはなんでだったのだろうということに
その後
娘のありのままを受け容れられるように
なって、だんだんと気付いていきました。
娘が生まれる前の私は
障害というものに
あまりにも無知で
その知らない外側の世界を
不幸だとしか思っていなかったのだけど
どうしてそうだったのかということを
検証してみたのです。
私は育った環境の中で
いわゆる障害者と触れたことはなく
そして、見聞きするものは
全て、健常の世界。
”普通”という画一化した社会が当たり前で
そこに入らない人が社会から
排除されているだなんて
予想だにしない世界に育ちました
なので
きっと無意識的に
人間とは、
知的に恵まれ、健康にも恵まれている者だけが
人間として生きる価値があるのだという、
どこか優生思想のようなものに囚われていたと思うし
世の中や、誰かが作った概念、軌範が
いつしか、自分の常識となり
「こうあるべき」ということに
疑念など持つはずもありませんでした。
そうして”普通”という名のたった一つのものの見方で
物事を捉え、
自分をその枠に押し込めていたのでしょう。
けれど
その狭い物事の捉え方、ジャッチメントは
実は本来の私・・あるがままの私を奪っていて
それが、”普通”でないものを突きつけられた時の
物事をあるがまま受け容れられない要因になり
苦しさを生んでいたのだと、何年もかけて
気づきました。
それから、ものの見方は無限にあるのだと
娘のおかげで
知っていくことになったのです。
私の苦しみの正体は
既存の常識の枠組み、
その中で生きて出来上がった
自分の凝り固まった”当たり前”という観念や常識と
そこに全く当てはまらない
娘のあるがままの姿との差異の戦いだったのです。
そして
障害児という、いきなり枠の外、
アウトサイドに放り出されてしまったことの
戸惑いと、それまでのあり方を手放すことへの恐れ。
苦しみはそういうことから生まれていたのだと
わかりました。
自分の中の当たり前に
すっかり自分を依存させていたわけだけど
物事の本質を受け容れていくには
その当たり前だと思い込んでいたことを
破壊する作業が必要だったのですね
そこが、何よりも激しく苦しい。
だから、なかなかそれをやりきれずに
苦しさのループにハマっていたのだなと思いました
それでも
その激しく苦しい、
自己の思い込みの破壊を経てみたら
本来の自分、本質を取り戻し
ようやく
娘のあるがままを受け容れ
お互いのあるがままを生かしあって
生きることが始まりました。
私が戦ってきたものは
娘の障害そのものや、
噛み合わない夫や夫の家族という
現実の出来事ではなく
私を囲む、
自分の凝り固まった常識という枠だったのです。
これを書いている時にちょうど
そうそう!こういうこと。というYouTubeを見て
やけに腑に落ちたので
そのYouTubeのリンクをつけて
先日
こんなTweetをしました。
アウトサイダーで生きるのには
自由を勝ち取っていくわけだけど
それをやり切ると、そこから見る景色
そして、本質で生きるという至福を体現
できるようになりました。
それをいい悪いと言っているわけでは
ありません。
それぞれに気質もあると思うから。
でも、やっぱり障害者という普通から
逸脱してしまうことを与えらて、それでも
他人軸で生きていたら
ずっと苦しいと思うのですよね
自分の当たり前を手放し
自由を勝ち取る。
そうすると、本質の自分で
生きられて、現実の事象に自分が全部
巻き込まれずに済みます。
そして
そうなると、全てに感謝!と心が震える思いです
この人生でよかった。と思えています
今、娘のことを命であること自体愛おしいと
思えています!