【第11話】噛み合わなくなってきた夫婦の会話
これまで、娘が生まれてからの
心の葛藤などについてを
書いてきました
絶望や葛藤、そして
感情の爆発などなど。
娘をそのまま受け容れられるように
なるまでの階段
それををひとつづつ昇っている途中
そんな大切な出来事と
心の変化を
順を追って書いているのに
夫の存在って出てこないですよね
こうして当時のことを
回想していても、その存在は
今の私の中にほとんど無いという感じ
でも、回想していたら
思い出してきました
なので、障害児が生まれた
夫婦として、私たちがどうだったのかを
記しておこうと思います
ここまで、夫の話があまり出てこない
ことからしてわかるように
夫は 娘の障害について、
直視しようとしませんでした
そうそう
前にも書きましたが
夫の実家は
娘の障害のことを
周囲には隠して欲しいという意向は
ずっと変わらずで・・・。
なので
夫もそっち寄りでそれを疑問にも思わず。。
ひどい話だなぁ・・。
仕事を理由に
病院の通院もほとんど同行せず。
ほぼほぼワンオペ育児でした
障害のある子が生まれた夫婦の離婚率って
一般のそれに比べて、格段に高くなるというデータが
あるのだそう。
というか、それは肌で感じます
子供の障害をきっかけに
向き合って、
共に乗り越え
精神的に深い
結びつきになる夫婦もいる一方で
どちらかが
子供の障害から目を背けてしまって
夫婦が成り立たなくなるパターンがあって
うちの場合は後者だったのですが
娘が3歳前くらいから
その兆候がだんだんと
出始めていました
この頃から、噛み合わなさが
顕著になってきたのは
私の精神的なステージが
変わってきたからなのだろうと思います
娘のことでの色々な局面と
向き合わざるを得ないうちに
絶望や葛藤、そして
今まで自分を縛っていたものの
破壊の過程をひとつづつ体験してきている私は
徐々に
本質的なこと?
この頃はまだそんな言葉には
置き換えられていなかったけれど
だんだんと
娘のありのままを受け容れる
準備をはじめられていたのだと
思うのです
そうやって
娘は親の心が成長するための体験を
いくつも重ねてさせてくれていたのだけど
夫は現実から目を背けて
実体験を避けていくものだから
夫婦の心の段階に開きが出るのも当然ですね
この頃は頻繁に
娘の障害のことについて
どう捉えていこうか。とか
親として、どう向き合うか
みたいな話を
夫に振ってみていました。
けれど
いつまで経っても
「サキのこと障害児って言うな」
だどか
「会社で同じ年頃の子を持つ同僚と話が合わない
のが辛い」
だとかを繰り返すのですよね
なんか・・・・
今そこ??と嘆かわしい気持ちになるのだけど
(内心はアホかって思ってたけど)
まぁ、圧倒的に娘のことで向き合う
時間が違うので
周回遅れなのは仕方ないか
と、はじめは大目に見て
「待つ」姿勢で構えてみようと努めていました
が
日々娘の状況を話したり
病院での出来事について
感じることを話して、
それにどう向き合うかや
どう思うか
などを聞いてみても
なんか、いつまで経っても
壁に話しているみたいなのです。
思いきり話しても
吸収されることなく
かべにあたって
そのまんま返される。
そんな感じです
そしてだんだんと
気づいていきました
この人が、
この人として、何を感じて
何を思っているのかが、全く見えない、と。
どこまで話しても
夫の生身が見えないのです
いつまでも
世の中の規範や常識に自分のあり方を委ね
ずっと”世間を生きる”
生き方を変えない夫は
常識からはみ出た娘の捉え方がわからず
排除したまま
そんな夫と
娘との体験で、本質で生きることに気づき始めた私
カタチ?というか欺瞞で生きる夫と
魂で生きたいと思い始めたであろう私
この先ずっと噛み合うことはありませんでしたが
まだ、この頃は一人で立っていく
不安があって、とりあえず夫婦をやっている
そんな虚しい関係を続けていました
でもね
本質剥き出しの娘と
今後生きていく上で
こんな、カタチだけ守っている関係が
ずっと続くはずはなかったのです
(続く)