【第13話】ある日の通院にて。 重度障害者の中学生と美しいママからの大切な言葉

娘、3歳頃の障害児育児中・・・。

こども医療センターへの通院で

見たこともなかった
様々な状態の子供達に触れて

私の世界が
少しずつ広がっていくのを
感じてきてはいたけれど

でも
まだ、この頃は発展途上

やっぱり
激しく落ち込む日もたくさんありました

心のありようって一直線に昇るものではなくて
螺旋状に行ったり来たりしながら
だんだんと昇っていくのだから

そんな日があるのは当然です

今回は気持ちが落ちていた日に
心に灯りが灯った通院での出来事を
綴ってみようと思います。

いつものように
病院へ向かう準備をしていたその日は、
ちょっと
悲しい気持ちになっていました。

前日に会社時代の友人からハガキが届き

それは

子供の2歳の誕生日に
家族でハワイに来ているという
楽しげな家族旅行のお便り

ハワイらしい
鮮やかな色が素敵なポストカードでした

でも

それを見た途端

おめでとうと!!とか
うわー!よかったねー!

とは全然思えず

私は心が締め付けられた感じになって
急に涙が止まらなくなってしまったのです

こっちは旅行どころか
3歳過ぎても
ご飯を普通に食べることも
歩くことも、
しゃべることもできない子のために

病院通いばかりだというのに・・・。

華やかなOL時代を
共にした仲間の充実した近況
元気で順調に成長する子の様子

わかっちゃいるのだけど

急に自分が惨めになって
悔しくて
悲しくて

心が乱れてしまったのです。

どんよりした気分のまま
娘を病院へ連れていきます

しかもその日は、
重篤な患者さんが多い
神経内科の受診

ここで、色々な症状の子を見て

どんな状態でも
命として一生懸命生きている尊さに
感動する事は確かに増えていました

けれど

その空気が
重く感じる日もあり

朝からネガティブモードのその日は
後者です

そんな時に限って
待合室のベンチを長時間一緒に
使うことになる親子がいて

ちょっと憂鬱でした

中学生だと言う水頭症の男の子とそのママ。

その男の子は
身長が1メートルちょっと?くらい
大きな頭で、低身長。

歩行はできず、車いすなのだけど
手も不自由で自走はできないそう

言葉は話さず、
知的な成長も2、3歳なのだとか

でも、そのママは
本当に優しい表情で男の子に
お茶を飲ませたり、
話しかけたりしています

私はその男の子の姿に
一瞬戸惑ってしまったのだけど
そのママの綺麗さが気になりました

こんなに大変そうな大きな子が
いるのに、このママ
どうしてこんなに綺麗なんだろう。。

そこに惹かれたのか
それとも
何だか救われた気持ちにもなったのか

親子の様子を横目でチラチラ見ていた私に
そのママが声を掛けてくて、
こんな話をしてくれたのです

「昔はね、もういなくなってしまえ!
って何度も思ったんだけど

でもね、こんなに珍しい子に
出会える確率って低いでしょ?

すごく貴重だと思えたの。
希少なことって、貴重でしょ。

とてもスペシャルな事だと
思えたら

本当に人生豊かになったのよ

いつかあなたも
絶対そう思うと思う!

このちょっとずんぐりした体も
変わったお顔も
なんか愛嬌あるのよ

この貴重な体験と
この子を
面白がってる感じ」

って、全く淀みのない
眩しい笑顔で
言い切るのです

屈託なく
本当に楽しそうに・・・。

それは

取り繕ったものなんかじゃない
色々な局面を経て辿り着いた
魂からの
笑顔とその言葉だったのですね

だから

すっごく美しく輝いていたのだと
後から気づきました

それだというのに

ネガティブ感情優勢だった
この日の私には

その眩しすぎる笑顔を
素直に受け取れず

「そんなの綺麗ごとすぎる」とか

「そう言う障害者の美談ってなんかイヤだ」

そんな風にさえ思えて

ざらざらした心を抱えたまま
病院を後にしました。

でも

その帰り道の感覚がとても不思議だったのです

自宅までの道のりを運転していたら
後から後から
勝手に涙が出てきて

感情を抱くより先に
涙が溢れちゃう

何でなのかよくわからない
今まで感じたことのない涙

この涙はざらついた心のせいなのかな??

いや、ちょっと涙が違う感じなのです

辛く、悲しい。それだけの涙じゃなくて

暖かさも感じるような?

そんな感じ・・・。

横浜から、茅ヶ崎の自宅までの帰り道

泣きながらハンドルを握っていたけれど
娘と声を張りあげて、歌も唄っていたのです。

♪犬のおまわりさん♪

とか

♪どんぐりコロコロ♪

とか

娘はとってもご機嫌。
ルームミラーに可愛い笑顔が映っていました

この日、あの先輩親子に触れて

多分私は

この先、
ずっと重度障害児の親を続けていくという
現実を突きつけられたような不安を感じ

同時に

全てを受け容れた先の
光も感じていたみたい

そんな感情が入り混じった涙だったのです

そして、だんだんと
光が不安を凌駕していくのを
涙に感じたかのよう・・・。

朝落ち込んでいた
友人のマウントのことなんて
どうでもよくなってた!

全く
次元の違う神々しい何かを
あのママが放って
届けてくれたのでした。

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随分と年月が経ってから

あの日、あのママの
魂からの笑顔と言葉は

私の中で

ずっと
トンネルの向こう側にある
出口の光を案内してくれていたのだと
気づきました

その光は

親子で、ありのまま
そのままを生きることが、
最高の喜びだよ。

ということの道標だったと
何年も経ってやっとわかったのです

この時出会ったこのママも
かつては

この時の私のように

もがいて、葛藤して
何かと戦っていた時代があったはずで

それでも、光を求めて
ずっと歩み続けてきたのだろうと思うのです

そうやって掴んだもの
辿り着いた、境地が

とても生き生きとした
自然な光となって、
私の心に灯りを灯してくれていたのですね

私もこういうあり方を
継承したい

この日のことを思い出すたび
強くそう思うようになりました

(続く)