多様性について思うこと
娘を育てる中
人はみんな違うのに、
なんでカテゴリーに
分けられるのか。。
と娘の障害を受け容れながら
強く強く思ったのです
なぜ
自然界の中で
人間だけは
命であることに、
基準を設けたり、ジャッジしたりして
排除したり
分離させたりするのだろうと。
そうしているうちに
個々の「生きる力」を
奪ってしまうのではないだろうか・・・。
私は娘のお陰で
そう気づかせてもらい
自分を生きることに
幸せを感じる人生になりました!
あらためて
「生物多様性」と調べてみました。
そうすると
まず初めに
「生き物たちの豊かな個性のつながり」
とあり
『地球上の生き物は
40億年という長い年月をかけて、
様々な環境に適応するように進化して
3000万種以上という
多様な生き物が生まれた。
これらの生命は
ひとつひとつ違う個性があって
全てが
直接的、間接的に支え合って生きている』
とあります
そうして
この豊かな地球を創造し支えているのですね。
多様性じゃないと
自然界は成り立たないのだし
地球は、進化、創造していかないのです。
人も、自然界の一部
”自然界の全ての生命”
という中に
当然人間だって含まれています。
人にも多種多様な個性があって
その個性の全てが、受け容れあって
融合して、素晴らしい世界を創っていくのが
本来の多様性の在り方。
だから
人も個々
その生まれ持ったものを
そのまま生かし、
咲き誇っていけばいいのじゃないかな
って。。。
ただただ思うのです。
なのに
そんな
シンプルなことが成り立たないのが
人間社会
生まれたすぐ後から
社会の基準、規範、観念とか
親の思惑とかを
刷り込まれ、
それに沿うように教育されて、
本来の自分を
なくして大人になる人が大多数なのでは
ないでしょうか。
社会だとか世間だとかに
意識を向け、外側の
流れに乗ることばかりに
仕向けられているうちに
人の本質は
どんどん奪われていくのです。
そんな
自然の姿をなくした
欺瞞が
苦しみを生み出し
心の渇望になり
人の生きる力をも奪って行く
そんな構図。
それでは”自然な生命”という存在は消え
自然な生命が
互いに支え合う。
ということからは
随分とかけ離れていきますよね・・。
一色に染まることや
あるモデルケースに沿うように
社会や大人に矯正されてしまううちに
本来の個々の色はあせ
世間に合わせた色で
生きることを強いられていく。
そうして多くの人は
本来の生命力を奪われ
世間の常識という枠に
依存して生きるものだから
そこから外れたことが起きると
拒絶したり、絶望したりして・・・。
だから
自然なものを受け入れていくことが
困難になったり
苦しくなったりするのじゃないかな。
世の正常から外れた
障害児が生まれることが、
悲劇になるのなんて
まさに、その流れです
本当の豊かさは
自然であることに
他なりません
自然であれば
はかない命もあったり
強靭な命もあったり
時には奇形があったり
色々あるのです。
そういうことを
カタチを整えるために
不都合として
線を引いて追いやり
排除してきたのが
今までの社会。
でも本当は
それぞれの
特徴を発揮して
補いあいながら
融合してこそ豊かで
強固な世界になっていくのです。
人との違いとか
普通から外れたことで
絶望したり、
生きることが苦しくなるなんて
ナンセンス
世界にたった一つの自分だけの
色を誇り、個々の色と重ね合った
鮮やかさを
分かち合えばいいと・・・。
みんなみんな、そう思える日が
来るといいな。と
常に切に願っています。
世間がどうであろうと
その真価を発揮して
あるがままで生き続ける
障害者の娘に向かって
私はよく
こう語りかけ続けてきました。
「そのままの君では
ダメだなんてこと
何もないのだよ!
むしろ、
持って生まれたものを
失くさず
あるがままを生き続ける君は
誰よりも
豊かで美しい。可愛いよ!」
ってね。。
誰もが
生まれた時に
完全なる
神聖さを持って生まれているのです。
どんな特徴があろうと
個人個人がすでに完全なる存在として
生まれてきたのです
そこを
親や、世間が奪うことなく
そのままを
尊び、慈しみ、包み
そうされてきた
個性たちが、それぞれを謳歌し
融合していくこと、
その自然な成り立ちが
真の多様性なのだと思っています。