【第19話】障害児/健常児 共生できる幼稚園探し・・全て門前払いの現実
気がつけば
障害児として生まれた娘も
4歳のお誕生日を迎え
幼稚園の2年保育へ
入園できる年齢になっていました。
あまりにも激しい心模様を
経験したこの4年
幼稚園のことなんて
別世界だと思っていたけれど
近所の公文の先生のご好意もあり
「色々な子がいて当たり前」
の空間を体験したことで
「育ち合い」が実現できる
幼稚園はないかな。という
気持ちが強くなっていたのです。
時を同じくして
病院の本棚だったか
療育センターの図書だったかで
「障害のある子も、普通の子と過ごそう!
普通の学校へ」
(タイトルはうろ覚えですが・・・)
という活動をしている
団体の寄稿文を読み
そこには
お互いの違いを知ることで
育まれる心についてが
書かれていました。
そう!これ!!
私が娘とやらないといけないことは
これなんだ!
とすっかり感銘を受けた私は
ますます、交わる!共に育つ!
ということへの思いが強くなったのでした。
そうとなったら 即行動!とばかり
まず、市役所の障害福祉課に出向いて
事情と思いを話し、
娘のような障害のある子を受け入れてくれる
幼稚園がないかを聞いてみました。
すると
幼稚園の方針や体制まで
市は把握していないので
ご自身で各幼稚園に問い合わせるように。
と、私の熱い思いとは裏腹に
とっても冷めた様子の返事が返ってきて
加えて
「そういうお子さんでしたら
障害児のための
就学前通所保育に行くのが
通常の流れです
市の障害福祉課として取り合うのは
そのパターンだけです」
と、あっさり跳ね返されてしまいました。
思いのところを
汲み取る気はないらしく
ただただ”業務”で処理される感じ・・・。
確かにお仕事でしか
ないのだろうから仕方ないけれど。
お話にはならずがっかりです。
じゃあ、もういい
自分で探す!と
その日から、
市内や近隣の市の幼稚園、保育園に
かたっぱしから出向いたり
電話での問い合わせをしたりを重ね
30、40の園を尋ねたでしょうか。
一件一件
これまでの体験で感じた
想いを伝えてみたり
お手紙を書いて渡したり・・・。
主にお伝えしたことは
子供時代に
お互いに、枠で隔てられた
知らない世界を知り合うことは
とても大切
ということや
色々な個性があることに触れて
違いを認め合うことで
個々が本来の自分を生きることに
必ず繋がる
ということ
子供時代のその体験は
その後の寛容な在り方を育む
と言った内容でした。
そうそう
この頃の娘は
相変わらず、体は小さく
立つ、話すは皆無。
食事も、お着替えも、排泄も全介助です。
それでもご機嫌な日は
お歌を聴いてニコニコしたり、
手をパタパタさせたり
”普通”からは大きく外れているけれど
面白い子だったのですよ
各園には
そんな状況も細かく説明し
実際に会って欲しい。ということも
都度都度お伝えしていきました。
けれど
大体、
返ってくるのはどこも同じで
「みんなと同じことができない子は見れない」
「園としてそのような子を受け入れた前例がない」
「手が足りない」
「他の園児保育に支障があってしまう」
「専門の職員がいないから、何かあったら
責任とれない」
・・・・と、そんな回答ばかり。
私が、ついていて、
その場に触れさせてもらうの
でもダメですか?
ということも加えて
何度も何度も何度も
伝え続けたのだけど。
一人の親御さんだけ、園内で付き添うのを
認めるわけにはいかない。
って。。
そんな理由でどこも門前払い。
見事に全敗を喰らうのでした。
何十件も同じような理由で
どこにも引っかからず。
話も聞いてもらえず。です
人知れず
近所の寺子屋的コミュニティでは
触れ合うことが実現できたのに
そしてそこでは
とても素敵な
子供達の受け容れ合いの世界を
目の当たりにすることが
できたのに。
”社会的”な要素が
加わる場になるにつれ
尽く枠で隔てていく様子を
ひしひしと感じていきました。
心折れて、
打ちのめされてしまったけれど
でも、これが現実社会なのです。
分離させて、管理していく社会の仕組みが
よく見えた気がしました。
少し冷静になってみたら
そんな現実に
段々と疑問とか怒りとかの感情も湧いてきて
こんなことを思うようになっていたのです。
”大体、
みんなと同じことができないとダメだなんて
人を矯正したり、洗脳したりに繋がるじゃん!!
人はみんな違うのに
本質を奪ってコントロールして整えていくなんて
気持ち悪くない?”
ってね。
”みんな一緒”にはまらない
異常な子供を排除していく社会に
やるせない気持ちになったけれど
でも、ずっと、長いこと
画一化した社会づくりのために
障害者って隠されてきたり
隔離、分離されてきたのですよね
命に基準なんて
ないというのに・・・。
私自身も、大人になるまで
障害のある人と触れたことなんてなく
あまりに無知で無関心。
障害者というと怖い世界、
不幸な世界だと思っていたのです
それは
こういう線引があって
隠されたことへの
刷り込まれた先入観だったのだな。と
そういえば、
いつか、こども医療センターでの
娘の受診の時に
様々な障害児を眺めて思ったけれど
この幼稚園連続お断り事件?を受けて
再びそんな思いが再燃しました。
線を引いて
整った社会にそぐわない人を
排除して
社会全体が
健常者前提で進んでいく。
そんな建前ばかりの社会。
そこに、交わろうとするときの
ギャップや、立ちはだかる壁が
障害者をより障害者にさせてるんだ。
ということも段々分かっていきました。
私は
この体験で、それまで自分が生きていた
社会が、いかに枠の中に誘導されての
表層的な社会だったのか
をあらためて、思い起こし
自分の見てきたこと、信じていたこと
自分の在り方への
疑問も加わり、複雑で混沌とした
気持ちになっていきました。
そんな気持ちの
渦中にいたこの頃の私。
何件も幼稚園を断られて、
色々なことを実感し、
自分を再構築していく途中段階
まだまだ幹は細く
娘の障害が重くのしかかることが多々あり
その度に激しく傷ついていたのですね
障害児ゆえに
普通の場にいることさえもできない
普通に生きてるだけなのに
排除されてしまう。
そういうことに
ぶつかる度に
娘の存在そのもの
命そのものをも
否定された気持ちになり
かなり参っていた感じ。
でも、
それでも
きっとどこか、
無意識の領域では
障害者であっても
こういう壁だらけの社会から
自由になることもできるはず。
そして、
やっぱり持って生まれたものを
発揮しあっていく世界が何より豊かなはず。
と感じていたような気がします
なので
打ちのめされても
倒れかけても
何かに導かれるように
その後も
幼稚園探しは
辞めたりはしなかったのでした。
そうしたら・・・。
とうとう
素晴らしい先生に
出会うことになったのです!!
(続く)