【第20話】 毛利子来先生との出会い『普通の子なんてどこにもいないし、障害のない人なんて一人もいない』

幼い時代に
色々な人がいるということを
肌で感じて
育ち合う空間の実現を求めて

障害児の娘を
受け入れてくれる幼稚園を探し
何十件も訪ねるも

全敗だったことを
前回お話ししました。

心も折れるし、
なんだか、親子共々
普通に生きていることさえも
否定された気持ちになってしまい

もう
流石に力尽きそうになっていました。

が、

そんな矢先

千駄ヶ谷に住む姉に
その経緯を話したら

だったら
毛利先生に相談してみたらいいんじゃない?

なんて言ってきたのです。

毛利先生?

あの毛利先生? 
え??なんで?

直接相談できるの??

と、その提案に驚いたけれど
同時に
折れかかった心に
陽が差したような感じ。

その毛利先生とは

毛利子来(たねき)先生のこと

小児健康雑誌の

「ちいさい おおきい つよい よわい」や
他にも多数の子育てに関する
ご著書があり有名な先生。

「たぬき先生」の愛称で親しまれていた
小児科のお医者様で、


親や子に寄り添い
常識に囚われない診療や

障害児の解放運動など

そのご活動は多岐にわたり

その後もずっと
育児のお手本になったという
伝説の先生です。

2017年に87歳でご逝去されていますが

私も毛利先生の本はたくさん読んで、
いつも感動していました。

そうだ!

以前、
こども医療センターの本棚にあった
「障害児も普通の子と一緒に過ごそう」

という趣旨の
活動の記事に感銘を受けたのだけど

その記事は確か
毛利先生や山田真先生の
寄稿文だったことを思い出しました

聞けば

姉の子(姪っ子)のかかりつけ医が
毛利先生だとのこと

で、姉は私が娘をそんな風に
交わる幼稚園に入れると
考えているとは
思わなかったらしく・・・。

というか
私は湘南地区に住んでいて、
姉の住んでいるのが渋谷区なので

幼稚園選びの助言を求めるのは
遠いなと、
あまり相談もしなかったのだけど

ある日の話の中で

え!それだったら
毛利先生に・・・という
流れになったのでした。

早速

姉が事前に
娘の状態や今の事情を毛利先生に
伝えてくれて

相談の日程を決めてきてくれました。

原宿にある
毛利医院は
木のおもちゃがたくさんあって
病院らしくなくて

その空間を
とても暖かく感じたと記憶しています。

そして、
いよいよ毛利先生にお会いします。

トレードマークの
サスペンダーと
チェックのシャツの毛利子来先生は

雑誌で拝見する通りの

とても優しい笑顔で
お迎えしてくださいました。

私は不思議と
全く緊張することなく

娘も心なしか、
リラックスしているみたい。

少し間を置いて
ゆっくりとした口調で
先生がお話を始められました。

「幼稚園、見つからないの?」

ということから
お話されたと思います。

それに対して

全敗なんです!

とお伝えし、

大体みんな共通していたお断りの理由の

「みんなと同じことができないとダメ」

「前例がない」

「責任取れない」

「手が足りない」

「他の子の配慮に困る」

などなど

言われた通りを
並べて先生にお伝えしたのです。

そうしたら。

その理由たちに対して

毛利先生は
本当におかしそうに大笑いされ

笑いながら、こんなことを
おっしゃいました

「みんなと同じことができないとダメだって?(笑)

世界には、
手掴みでご飯を食べる人たちだっているのにねぇ

そう言ってる人は

その人たちに向かって

お箸を使わないなんて変です!

って言っちゃいそうだね(笑)」

って・・

え!!って思ったけど
私もつられて笑ってしまい

すごい!さすが先生。
と、ますますファンになっちゃいました。

自分が
当たり前だと思ってる世界以外に
無限の姿の人がいるんだな。

と、いつかもこども医療センターの
多種、多様な障害児を目の当たりにして
感じたけれど

毛利先生のこの言葉は

そのことをあらためて
思い出させてくれて

それまで
知らない世界同士
関わりあおうよ!と進んできたことは
間違いではなかったのだと


励まされた気持ちになりました。

続けて先生は

「普通の子なんてどこにもいないし
 障害のない人なんて一人もいないよね」

とニコニコと穏やかな笑顔で

お話ししてくれたのです。

そして・・。

偶然にも茅ヶ崎の自宅から

車で15分ほどの距離に

毛利先生のお知り合いの園長先生が
いらっしゃる幼児園がある。

とのことで

紹介をしていただきました。

「どんな子でも受け入れてきたところだよ」

そう言っていただき

もう
言葉になりません。

ただただ
涙が止まらなくなっていました。

ここで

毛利先生を訪ねたことは

私と娘にとって
人生の大きな転機だったのです

その後

人間の命に基準なんてないんだ
ということの世界を生きることに
迷いなく進めるようになった。

そのきっかけをくれたのが
毛利先生との出会いでした。

そう長い時間ではない
面談の中でいただいた
毛利先生の言葉は

今も、
娘と共にあるがままを生きることの
軸にずっと響き続けています。

「普通の子なんて一人もいないし
障害のない人なんて一人もいない」

持って生まれたものを
失くさず、そこを発揮して生きることを
ずっと支え続けてくれる珠玉の言葉・

私の大切な宝物です。

障害児育児は
普通から外れたことで
たくさんの傷や壁や

それらによる絶望や葛藤やら

時に血のにじむ思いや
自分の破壊をも
強いられるのだけど

でも、そのおかげで
こうして奇跡的な出会いや

普通の枠にはまっていては
決して出会えない感動や

宝石のような言葉に

たくさん出会えてきたのだな。
と振り返り思います。

ドヤ顔されるのもなんなので
あんまり言いたくないけど(笑)

この機会を繋いでくれた
姉には本当は感謝しているのでした

(続く)