障害/普通の線引を取ること、枠を超えることにこだわった理由
さて、今、娘と共に
歩んできた道を振り返っていて
私はなぜ、そこまでして
障害とか普通とかを超えて
”交わる”ことにこだわってきたのだろうと
思い返していました。
そこで、少し前にこんなtweetをしていました
ここにもある通り
産まれた子供が重い希少な障害があると
告げられ
徐々に周囲との差が広がり
いわゆる常識とか普通から
弾き出されていく過程で
私は絶望したり、葛藤したり
気が狂わんばかりの
日々を送っていたのだけど
段階を経て、体験を経て
後から思ったのは
娘を産む前の私は、
障害者のことなんて無知で無関心。
だから、障害は怖く、暗く、不幸という
刷り込まれた先入観しかなかったのに
それが自分に降りかかってしまい
いったい何が起こってるのかも
理解不能で
到底受け容れられるはずもなく
ただ立ち竦むしかなかったんだ。
と言うこと。
そして、
それはどういう背景でそうなっていったのかが
段々と見えていきました。
ストーリーでも書いているように
いざ、障害児を社会に出そうとすると
障害児用の道が準備されていること
(身体上そこが必要な場合もあるかもしれませんが・・・)
共に育ち合う場を求めても
線を引かれて別の道に誘導されて
常に壁が立ちはだかってる。
そういうことに遭遇するたびに
整った社会づくりのために
排除されてきた命がたくさんあることや
私が見てきた普通の世の中とは
フレームの枠内であって
フレームの枠外には
こんなにも無限の
多種多様な命があるのだな。
ということを知っていき
自分が生きていた世界は
こうして、普通という枠に
いつの間にか押し込められて
そこで基準を与えられ
はみ出さないようにされてきた
優生思想下の世界だったのだ
と気づいていきました
そこで私は
行政が言うように・・・。
それも、たちの悪いことに
この子の”劣った”事や
遅れたことを
補うための手厚い教育と称して
弱った親の心を巻き込んでの
線の向こう側への誘導に
乗っかってしまうのは
結局自分も線引に加担することなのではないかな
と肌で感じていったのですね
同じ境遇とか
孤独な育児を励まし合うとか、
弱って疲れた心への誘惑に乗って
そのコミュニテイにはまっていっては
無知だった自分がいた社会と
何ら変わらぬ社会が作りに
結局自分も賛同してしまっていること
だから
そんなことに
乗っかってしまうのは違うんじゃないかと
思っていったのです
そうやって
悪き習慣がすっと繰り返されていて
何も変わることなく
はみ出された命はずっと世の中から
排除されたまま。
そして、その風潮の中で
基準から外れた命を産んだことや
我が子が
成長の過程で普通から外れていくことが
悲劇になる。
そんな社会の線引は
もう繰り返してはいけないのじゃないかと
そう思いました
まだまだ
世の中は何年経っても優生思想が根強く
そして優生思想下であることさえも
気づかないまま
生きている人が大半です
社会?世間?が決めた基準の枠組みに沿って
実は人がロボット化している様子
基準に魂を差し出す様子
そのおかげで排除された命が
生きるのを虐げられること
そんな機械的な社会じゃ
多くの人が本質を搾取され失っていく感じ
もうそんなの嫌なのです
昨日も・・・。
障害児の若きママから
苦しくて、辛くて死にたいと思ってしまうと
メッセージをいただきました
どうして弱い命を産んだことや
特殊とされる命を産んだことが
こんなにも悲劇にならないといけないんだろう
色々な命があって
どのような命でも命なんだと
そんなことが、ずっと小さい頃から
身についていて
アイデンティティーに組み込まれていたら
大人になって
どんな命を産んだとしても
命として向き合えるのではないか・・・。
幼少期に障害や普通など関係なく
共に育ちあった経験は
どんな姿形であろうと
どんなに儚くあろうと
命として愛おしく尊べるような
寛容な人としての
土台ができるのではないか・・・。
私は娘と向き合う過程で
そんな思いが強くなりました
幼い頃から
感じあって
分け合って
育ち合わないとダメなんです
だから私は
娘が
影に隠れた命となることなく
堂々と、交わり
知り合い
分かち合えるような
そんな場を求めたのです。
壁も先入観も取っ払って
誰に何を言われようと
酷い言葉を浴びせられようと
娘を守りながら
そこに立っていようと
そう思ったのです
それが
私が”交わる”ことに
こだわってきた理由です
今一度
このブログのタイトルは「しんめんもく」なのです
柳は緑、花は紅 真面目
「やなぎはみどり はなはくれない しんめんもく」
当たり前に在ること
自然のあるがままの命は
自然のままの多様な姿と融合するから美しいのです
だから、交わることにこだわってきたのです