娘、園児の頃の状態。私の心。絶望やら光やら
ここまで、障害児が生まれてからの
絶望や、葛藤、心の崩壊などを綴ってきて
そこからの気づき、思い
その思いからの行動
共生について
の体験を書いてきています。
そして、
素敵だった幼児園の時間。
障害、普通の枠のない
子供達のあるがままの交わり。
そんな時代の物語に差し掛かっているのだけど。
ちょっと、現実的なこと・・・。
この頃の娘の状態についても触れておこう思います。
幼児園時代に得た喜びがあまりにも
大切で
その後の人生の大きな支えになっていったので
この頃の娘のちょっと厳しくもあった状態については
私自身、忘れてしまいがちなのだけど
でも、実は、この頃の娘は決して
状態が安定していたわけではなかったのです
一週間を通して、園に通えたことはなかったくらい
(今まで〜現在の娘はこんな人。ということは
ザックリこちらに記してあります。 こちら→娘のこと)
この頃の娘はまず睡眠障害があって、
夜連続して寝ない
2時間くらい寝ると
起きてしまい、時には激しい夜泣きが続いて、
けいれんを起こしたりして
やっと落ち着くのは明け方だったり
なので
園に行けてもお昼前になったりも多々ありました
食事も、逆流してしまうことがあって、
食べたものを全部戻したり
寝入りばなに、けいれんを起こして座薬で抑えたり
風邪ぎみになると厄介で、引きはじめに
熱が少しでも出ると熱性けいれんを起こす。
そうすると、夜間の救急の受診に連れていき、
そのまま入院とかも頻繁だったような
そして、生活全般は、歩行も、排泄も、
食事も(咀嚼はできず、刻み食)
着替えも、何もかも完全介助
座位は取れていて、移動は車イス。
と、そんな状態の中にいました
この頃はまだ
検査を繰り返しても
はっきりとした病名がついていません
(5歳になって4P マイナス症候群とわかりました)
とっても、
心が踊る幼児園での光景に高揚感を感じながら
こうした娘の状態に
心がどん底まで落ちる
そんなことの繰り返しの日々。
まぁ、
ストーリーを綴っていると
晴れの日にクローズアップしてしまいがちだけど
誰もが、晴れの日常が続くなんてことはなく、
明るさの影にはダークなこともセットなんじゃないかな
と、体験を重ねるたびに思えていきました
それは、今も同じだけど
心が晴れている日も、嵐の日も
当然あって、それがバランス。
今となってはその両方があるからこその気づき
それが 良かったのだなと思えています
大事なことかなと。。
そうそう
以前記事に書いたけれど
実はこの頃の私
こんな状況の中
娘がまた何か起こしたらどうしよう。
と、まだまだ不安や恐怖にうんと囚われていて
その恐れが、そのまま娘に伝わっていたのだと
後に気づいていきました。
いつもいつも、けいれんを起こしたりするのが怖くって
大きなことが起こりませんようにと
ビクビクしながら
予防予防と躍起になっていて・・・。
要するに
その先にある究極な恐れは”死”だっだのだろうけど
でも
ある日
娘の意識がなくなり
命がもう次の日までもたない。
と宣告された出来事をきっかけに
”死”は誰でも当たり前に背中合わせにあるもので
私たちは死の中で生かされているのだと
一晩にして、体得したのです
それから
もう明日何があってもいいや
それより、今を楽しもう!
と思えて不安や恐怖がなくなり、執着もなくなっていきました
死を見つめることによって、生がより活きた。
そう学んだのだと思っています
(その出来事についての詳細は
次回ストーリーに書こうと思います)
余談ですが・・・
昨今のコロナ騒ぎは
やっぱり、不安や恐怖を生きていると
それを招く。というのは本当なのだな。と
世を見渡し思うことばかりでした
それを感じる度に
不安や恐怖に囚われていたこの頃の
自分のことと重なりよく思い出していました
そのことも含め過去に書いていますので
もしよろしければ
こちらも参照していただけたら、と思います
(過去の記事はこちら→→
「不安や恐怖を生きているとそれを招いていた。
という体験から思こと」)
幼児園時代は
まさに
不安な中ではあったのだけど
それでも、やっぱり色々な命が共にあるのが自然
ということを大切にしたくって
娘が落ち着いている日の登園は
全然辛くなくってワクワクしてたっけ・・。
色々な自分が行ったり来たり
絶望から光まで
なんて振り幅が大きい日々だったのだろう・・・。
懐かしい時代
どれも大切な体験だったなと思えています
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そうだ!
先日Twitter(X)を見ていたら
こんな素敵な言葉があって
本当にそうだな、と思ったので
辛い最中にいる人が
楽になるといいなと思い
最後にシェアしますね
「あなたの生涯でもっとも輝く日は、勝利の日ではない。
悲嘆と絶望の中にありながら人生に立ち向かった日である」
私は今、このことに強く同意し、
心の底から頷けています。