【第26話】障害児が生まれた夫婦の離婚 私の場合
以前、障害児が生まれた
我が家の夫婦関係について
その状況を綴っていましたが
その後私は
離婚することを決断しました
そこに至った心情を
今回はお話しようと思います
(前回の関連記事はこちら→)
娘の生き死にに直面して
私の「生」に対する意識が変わり
娘の病名がわかり
そして、夫婦の解消
ちょうど娘が5歳のこの時期は
人生が大きく動いた頃でした
ここでも順に綴っているけれど
夫との噛み合わなさを感じ始めてからも
私は娘との歩みを止めずに進んでいました
あるがまま共に生きて、
生かし合うことの大切さを知り
社会の枠を自分で叩き
枠なきところで
子供たちが交わる場を選択し・・・
そうして私自身も
本質的に生きることの
土台ができていきました
そんな中で
娘の生死を彷徨う出来事があり
その時
私自身がそれまで纏っていた
虚偽の自分も死を迎えて
「生」に立ち帰ることを体感すると
とても自然に
もう、本音を押し殺して
形を守って欺瞞で生きてる場合ではないと
決起していたのです
この頃
私が娘を通して気づいたこと、
その歩みについてを当時の夫に話し
共に向き合おうと促しても
彼は全く感じ取れずにいました
夫は
自分の理解の範疇を超えた障害児からは、
目を背けることしかできなかったようです
そんな夫に
娘に対する思いを問うと
娘は可愛い。
と定型文のように頭で答え、
安心できる場を
行政に選択して貰えばいいだろう。と
いつも
同じ答えを繰り返すだけ
しかも人任せ
彼の心が何を感じ、何を思うのかは
いつまで経っても
私に響くことはありませんでした
それに加え
夫の実家は依然として
娘の障害を親戚には言わずにいてあげる。
だから、会わせなくていいから
といった姿勢を変えることは一切しません
そういったことに触れるたびに
ここは私が生きていく場所ではないと言う思いが
湧き上がっていきました
私はこんなところで
こんなことで何を悩むことがあるのだろうか。と・・・
そして私は
いつのまにか
もう、こんなの辞めにしよう!
と淀みなく、大きく頷く強い自分になっていたのでした
少し話は逸れますが・・・。
子供の障害に限ったことではないけれど
人生において、絶望に打ちひしがれるような
衝撃的な出来事に遭遇したとか
生き死にに直面したとか
そういった予想だにしなかった苦境がふりかかった時
当たり前だと思っていたことが
崩れ去ることや、思い描いていた未来が
奪われる時というのは
実は人生が与えてくれた
チャレンジの機会なのですよね
当然
そのようなことが起こると
反応が起き、絶望して打ちのめされるから
すぐにはそう気付けないし
気づくまでには長きに渡り
茨の道を余儀なくされるのだけど。
でも、出来事に”一人で”真剣に向き合っていくうちに
出来事から
何かを見出し、
それは
自分の世界を広げていくことだったのだと気付けたら
その出来事はやがて
災難でも悲劇でもなくなり、
”目覚め”のために起こった恵だったのだということを
実感していくはずです
目覚めて生きる=本質を生きるって
何もかもなくしたゼロにあるのだから。
(でもゼロになるという
一度自分を破壊して手放すのが苦し過ぎて
多くの人はその痛みを避けるのだけど・・・)
で、
それを踏まえた上で
話を夫婦のことに戻すと・・・。
夫婦の元に障害のある子が生まれる
という二人に共通の苦難が起こった時
二人それぞれの
スピードは違うかも知れないし、
段階にズレはあるかもしれないけれど
それでも
それぞれが
絶望、葛藤、自分の枠の破壊、そして手放し
解放という道を進む事に
覚悟を持って挑んでいたなら
きっとその夫婦は
長い道のりを経て、やがて
お互いの解放された本質同士で
繋がり、素晴らしい絆を育むことになるはず
人生が運んできた
二人に共通の苦境から逃げすに挑んで
目覚めを知った夫婦は
共に人生を創造し成長していくのだと思います
そんな障害のある子を育てた
素敵なご家族にも沢山出会ってきました
けれど
その本質に向かうまでの苦しい道を、
どちらかが途中で放棄して
違う道線に逃げてしまってたら
共に生きる、分かち合う
融合していくのは難しい。
というか、
多分もうしっかり核を持った関係造りは
無理なんじゃないかな。と思います
もう交わることのない
違う世界線を生きてしまってるのだから・・・。
私の場合は
観念を捨てられず
観念の枠に自分を守らせて
形で生きる夫とは
もう生きてはいけないと判断しました
私はやっぱり魂を喜ばせて
本音で生きたいと思ったし
まして本質丸出しの
あるがままの娘の前では
欺瞞、取り繕った関係など
通用しないと確信して
それを続けるのが苦しくなっていきました
人と人が触れ合って
生かし合っていくのは
お互い
本来持って生まれたものの響きあい。
お互いの存在が開かれて
その融合が関係を創造し
いかようにも変容していくもの
それには
相当の痛みを伴うことなのだけど
私が望んだのは、そういうことに互いに
真剣に挑み続ける関係だったのです
本来のものを
失くし、実感よりも
観念からでしか何かを発しないような夫とは
魂の対話や響きなど生まれなかった
だから私は
もうここから抜けて
全てを引き受けて
一人自分の足で立って生きることに
チャレンジしたのです
重度障害児を抱えて
食べていけるのか
仕事はできるのか
何の保証もなかったし
体裁が何よりも大事な
夫の実家は
あの手この手で離婚を阻止しようとして
一筋縄ではいきません
なのでものすごく
エネルギーを消費しました
それでも
私は「生きる」を選びたかったので
もう何も怖れることなく
自分に正直に前を向いて立ち上がっていきました
血眼になって
自宅でできる仕事をやっと探して
寝る間も惜しんで必死に働きましたよ。
でもね
生きることに、
情熱を持って臨んでいる時って、
どんな状況でも何も怖くないし
全く辛いとも思わないのですよね
そして、本当にどんな状況だって
なんとかなるものなのです
・・・・・・
障害児が生まれた親の離婚率は
今もやっぱり高いそう・・・、
取り繕ってカタチで生きたり
カッコつけたり
世の中の常識に縛られたり
同調圧力のせいにしたり
人の目を気にしたり
虚偽の自分を装ったり・・・・
障害児を育てると言うことは
それらのことが全く通用しない
そんなごまかしが効かない世界
だから
それらを全て手放していかないと
子供のあるがままへの
受容には行きつけません
そして
その受容・・・
何が起こっても、
受容できる自分になるためには
まず第一に
自己受容というのが
核になっていくわけで
夫婦それぞれがそこに向う道にいないと
障害児と共に家族として
生きていくのが難しいと私は
思いました
もしもう
お互いの向かう道が違って
その関係は終わってるけれど
形を壊す恐れが理由で
そこに留まっているのであるのなら
恐れず、手放す事に挑み
正直に生きた方が良いんじゃないかな?
と
個人的な感想だけど
私はそう思います
”夫婦をする夫婦”という
ぶら下がった関係の中では
子供に
本当の分かち合いなど伝わらないでしょ?
そんな関係の中で育つ子供は
心に空虚を作ってしまい可愛そうです
私は離婚後
未知を泳ぐことに
覚悟し腹を括ったおかげで
苦しいことも多々あったけれど
生きてることを実感し
心から喜べて
そして、起こる出来事に翻弄されずに
人生を歩むことができました
自分への信頼と愛を感じたからこそ
娘を娘として包み
抱きしめて生きることができたのだなと
思えています
(続く)