”ミス”を活かす
先日、歯医者さんで受診を待っている間
待合室の本棚に樹木希林さんの120の遺言という本が
あったので、手にとって読んでいたら
その中に、ミスを活かそうとずっとやってきた
ということが書いてあるページがありました
”全てのものに、こうでなければならないという鉄則はないと思っている。
例えば私の顔はミスして出来ちゃったけど(笑)
でも、そのミスを活かそうと思ってやってきた”
というのです
その解説では
”家を建てた時に、建築家にお願いしていることは
設計図とは違うところに穴を開けたりと間違えてしまった時には
声を掛けてください。ということ
それは、もしミスしてしまったとしても直したりせず、そのミスから何か
面白いものができるかもしれないから。
ミスして、設計通りに直してしまっては、ミスはミスのままだけど
ミスから別のことができたらミスが活かされる
例えば、私の顔はミスで、美人女優の枠には入れないし
昔は女中の役でもミスは許されなかったけれど、
その中でもずっと生きてこれたのは、ミスを活かそうと思ってやってきたから”
と書いてありました。
ちょっとクスッとしながらすごく腑に落ち、
私が大切にしてきたことと合致して嬉しくなリました。
私の場合は
障害のある娘、しかも、もうすぐ30歳になろうというのに
ずっと赤ちゃんをやるらしい娘と向きあってきて、
いつしかこういう境地になっていました。
世の中の規範からはミスであるかもしれない娘。
でも、その特徴、超個性を活かそうと思ってからは
あらゆる、そのまんまが面白くなって
私を縛っていた規範という枠がなくなり、創造は無限だなぁ。
なんて思えるようになったし、何しろ、それを喜んで生きられるようになりました
障害者のことを”ミス”だなんて言うと
あるところからは激しく非難されてしまうかもしれないから
ここでは、あえてイレギュラーと言うことにしておこうと思いますが
そう、そのイレギュラーを突きつけられた時に
世の中のレギュラーとの違いに嘆いたり、レギュラーに近づくように
何とか訓練したりしたら、そのイレギュラーの
本質はなかったことになっちゃって、何にも活かされなくなってしまうと思うのです。
イレギュラーなことが突然やってきちゃったことは、
例えば、親にとっては
知らないことだらけだし、暗中模索すぎて怖いけれど
でも、イレギュラーに遭遇したら、
そうきたか。。。と思って、それもありか。と面白がってみると
イレギュラーから見える世界を知り
イレギュラーから世界が広がっていく。
それってとてもクリエイティブだと思うのですよね。
そしてそれは、自分を縛っていた、こうでなければならないと言う鉄則から
解放されて、本質で生きられることの始まりで
それが本来のニンゲンとしての喜びであるし、美しさなのだと思うのです
障害児の子育ては、規範、概念、常識から外れた苦しさや、恐れを
一時は味わうものだけど
障害という個性、本来持って生まれたもののまんま、というありようは
周囲にそんな気づきを与えてくれるのだと私もずっと思ってきたわけです
だから、
障害児育児は
命であること自体が愛おしいと思えたり、命そのものの輝きを
知っていくことになります。
その超自分軸の境地。
そこに至ってしまうと、
外界や他者がどうであれ幸せ。という究極な至福が得られるのです。
なので、私は今
この変わった子育てを体験できたことに、心から喜んでいるのです。
今、障害のあるお子様の育児に辛さを感じているママのその先には、ハッピーがあるはずです。 その経験は、必ずハッピーな強みになるはずだと思います。
あ、でも、
そもそも本質で生きてるっていうことを尊重しあっていけば
障害とか普通。レギュラー、イレギュラーなんて概念も
なくなっていくんじゃないかな。そういう世の中になればいいな。とも思っています。