重度障害者の娘は今年で31歳になりました。
これまでの娘と共に歩んできたことを振り返り
その絶望しかなかった娘の誕生から
様々な体験、
様々な心情の変化を思い出し
時には胸が締めつけられそうになったりしながら
けれど、それも含めて
感謝と至福で喜び溢れる気持ちになりました。
この30年で行き着いた
在り方についてを問われる時
私は真っ先に
「しんめんもく」という言葉が
思い浮かびます
「しんめんもく」とは
『柳は緑 花は紅 真面目』
「やなぎはみどり はなはくれない しんめんもく」
中国 宋代の詩人
蘇東坡が残したこの詠からの言葉です。
春になると、
柳は柳の緑として芽吹き、
紅い花は花として紅く咲き誇る。
そんな当たり前の景色から、
自然界に身を委ね生まれた
あるがままの姿こそが、
何より美しいと詠っています。
元々持って生まれたものを
生かし合い融合していく自然の営み。
そうして織りなす景色の美しさと欣びが伝ってきます。
それぞれの本来の姿に真価があり、
真価を発揮しあって命が輝いていく。
それが真の面目なのだということ。
物事のありのままを尊ぶことを
詠うこの言葉は
まさに、
私が娘と共に歩み
たどり着いたことを一言で表現するのにぴったり。
これ以上の言葉はないのではないかと思っています
障害があり、普通とはかけ離れた娘は
普通という世の中の常識や
親が望む色に染めようとしても
全く染まることなく
自身の元々持って生まれた色からの
光を放ち続けました。
そしてその純粋な光は
母である私がいつの間にか身につけて
しまっていた
本来の私とは
違う「私」という鎧を剥がしていきました。
それは
とても激しい痛みと苦しみを伴ったのだけど
でもそのおかげで
私の本来の色を思い出させてくれて
私で生きることを取り戻させてくれたのです。
”普通じゃない”ことを与えられてしまった時、
生きるのも辛いほどの衝撃を受けて
数年真っ暗だった障害児育児は
色々な葛藤を経てみたら
普通でなきゃいけないことの囚われは、
実は、本物を生きてなかったんだと気づいていくのですね
そしたら親子で
ありのままを生きるという
真の幸せを掴んで生きることが始まるのです。
持って生まれたものにフタをせず否定することなく
ありのままを生きる生かす
自然である
それこそが
「しんめんもく」の真髄てあり
それが
人が永遠に追い求める幸せ。
誰もが、本当は一番欲しがっている幸せは
そういうことなのではないかということを
私は娘からたくさん教えてもらいました。
障害児(者)は
向き合うものにそんな幸せの原点を教えてくれる。
それを伝えるために
その特徴を持って生まれたのだと思うのです
30年、障害児(者)を育てて向き合ってきた私は
今
そんなことを一点の曇りもなく
自信を持ってお伝えすることが
できるようになりました。
それぞれがそれぞれの持って生まれたものを
尊重し発揮しあい分かち合って創る世界。
誰もが世界を創造する一員として
そのままを誇り輝いていけますように!と心底願い
その世界の実現のために
これからも私が娘と向き合って得てきた幸せを
放っていきたいと思っています。
今、障害児育児で悩んでいる方や人との違いで悩んでいる方は
ぜひともその違いを誇ってほしいのです。
その”障害”そのコンプレックスは
いつの日か必ずあなたに幸せを運んでくれるはずです。
この上ないhappyに向かいますように