重度障害児の娘がいる私を
妻にした夫の寛容

今年も暑い夏を迎えています。

そうすると
4年前に亡くなった夫の命日が
近いことを感じ、
色々と考える季節です。

命日が近いので、

今日は夫のことを書こうと思います

私は、夫と出会った当時

重度障害児の娘を抱えての
シングルマザーで
ある外資系企業の
販売促進の仕事を請け負っていました。

夫はその会社で営業を担当していて
何度か仕事で会う機会があって

そこで、何度かお話をして
「そうだよね」というポイントが
合うことが多く
だんだんとお話をする機会が
増えていきお付き合いが始まりました。

お互い、離婚歴があり、
自然と今後の
パートナーシップの話になるのだけど

私には、重度障害児の娘がいて
そのことが、私の中では

”それは、とても受入難いだろう”
とか
”その現状を知ったら引くだろう”
と構えていて

であれば、早めにそれを告げて
こちらから、お断りしよう。
なんて思って・・・。

なので、次に会う約束の日に
もう、娘のことを見せてしまおう。
その方が、
ごちゃごちゃ言葉で言うより
早いだろう。と思い

次に会う日に
娘を車に乗せて、約束の場所に
向かいました。

夫は、

荷物を入れようと
後部座席のドアを開けると
そこに座っている娘を見つけ

はじめ少し驚いていましたが

開口一番

「君がさきちゃんか。こんにちは
急に変なおじさんが現れて
びっくりさせてごめんね
今日はよろしくね」

とあまりにも自然に
娘に挨拶をし車に乗り込んだのです。

え??何だこの人。という印象

日本人にありがちな
こう言う特殊に関して

”どうして良いかわからない”
からの取り繕った感じが全然なくて
ちょっと拍子抜けしちゃいました

娘は当時中学生の学年でしたが
体も小さく、車椅子でお話もしないし
身の回りのことは、全部介助が必要で

大きな赤ちゃん。
世にも不思議な中学生。

で、その娘を前に私は、

「だから、こう言うことだから
これから、一緒にやっていくって言うのは
難しいと思う。本当にごめんなさい」

と遠回しに、今後のことを
お断りしてみたら、彼は

「なんでさきちゃんのことが
今後一緒にやっていけない理由に
なるの?

たまたま一緒にやっていきたい。
と思った人に
たまたま子供がいて。
それが、たまたま障害児
だっただけ。
ただそれだけのことでしょ?」

なんて、言ってのけるので

それに対して私は

「いいよ、そんなに無理しなくて。。」

なんて言って返したのを覚えています。

それでも、彼は

「できない。じゃなく
できるを考えよう。」
と言い始めました

「僕がどうしたらさきちゃんと
お友達になれるか
感じて、考えてみるよ。
僕の持っている物差しを一度外して
みるから
ちょっと何度かさきちゃんに
会わせてくれる?」 と。

私自身、娘が生まれて
受け容れるまで、
随分と葛藤し苦しんで、
やっと自分を解放させて、娘と向き合えた

と言う経緯があるのに・・・。
それに何年もかかったと言うのに・・。

そのプロセスで得たものを
夫はすでに持ち合わせていたことに

実は、とても感動していたのです。

そして、ついでに言うと、

夫は私のことも、

「それまで、
さきちゃんのことを乗り越えて
きた背景があって今の君でしょ?

その今のあなたを僕は気に入ったわけで、
それを創ったさきちゃんと言う子のことも
知ってみたいと思った。」

と言ってくれました、

結婚生活が始まって

娘もすっかり夫に懐いた頃。

彼はこうも話してくれました

「さきちゃんみたいに
本質だけで生きているような子
に触れて、僕も
さきちゃんの前では正直になれる気が
すごくするよ。」

そう言って笑っていた笑顔が
とても優しかったのです。

私はこの夫の懐の深さに
随分助けてもらっていました。
で、随分甘えてしまい
いつしか、それが当たり前に
なって、日々それが
貴重なことだとの実感が
薄れてしまっていました。

亡くなってから4年の間。

私は様々な心情を経て

その彼の寛容さの解釈がどんどんと
深まる気がしています。

そうか。。
夫はこんなことを言いたかったのかな
とか、
夫はもっと大きな目で見ていたんだな。
とか。

次々と思います。

お別れは
悲しいものだけど、

皮肉にも

夫への
感謝と気づきを何倍にもさせて
私に返してくれました。

夫のものの見方。
夫の在り方から
教えてもらったこと、
そして、今なお教えてもらっていることを

今後の私の活動に活かしていきたい・・・。

そして

それが、誰かが
幸せになることに活きればいいなと思います。

何事も

ありのままに、物事を受け容れてみること
を夫と今もずっと対話をしている感じがします。