もし我が子が明日までの命と言われたら  私の障害受容を加速させたこと

以前、お子様の障害を受け容れられずに悩んでいるママから、


”私、このままでは子供を死なせてしまいそうです。”

と悲痛なメールをいただいたことがありました。

しかも、お一人だけではなく、
同様の気持ちを吐露したママは数人いらっしゃいました。

そのママ達、本当に苦しいだろうな。。

その頃の気持ちと、
そこに入り込んでしまった感じがわかりすぎて、
なんだかお話しを伺っていて、
私も以前の自分にタイムスリップしていました。

私も昔は、我が子の障害を受け容れきれず、
なんでこんな子を与えられたのかな。
どうして私だけこんな思いをしなきゃいけないの?

と毎日思い続けいて、なんかたぶん、運命を恨んでいました。

時には泣きじゃくる娘のことがたまらなくなって狭い部屋に閉じ込め、
私は耳を塞いでキッチンで泣いてうずくまっていたり、

いつまで経ってもおしゃべりもできず、食事も全介助。
もちろんトイレトレーニングなんて論外な娘に

いったい何のためにこの子生きてるんだろう。。

と思ってばかり。

積もり積もった感情が爆発すると、

「私を苦しめるために生きているんだったら、いなくなって!!」

と暴言を吐いていました。

まずい。私このままだと虐待しそう。

そんな自分を、本当に娘に手をかける寸前で抑えるという
葛藤の日々だったりしました。
だから、ものを壊して爆発させていました。
かなりキツかったです。

そんな毎日でも、
どうしたって娘を死なせることもできず、
一方では娘の栄養を考えたり、
手がかかりすぎると感じたって
泣きながらでもその手を止めることができなかったりして。。

そして、少し娘との年月も進むと、やりきれない気持ちはあるものの、
状況に諦めたのか、慣れたのか または現実逃避なのか(泣)
娘のためにせめて、かわいいお洋服を着せようと、
当時今ほどのネット環境がなかったので、わざわざ電話やFAXで海外から
個人輸入で色鮮やかな子供服を取り入れたりしていました。

たぶん、せめてもの現実逃避だったのでしょう。

けれど、時々どうしてもやりきれず、
どうしようもなく感情が崩壊して、
再び泥沼のようなスポットに入り込んで抜けられなかったり。。


なんだか、
感情のアップダウンが激しすぎてぐちゃぐちゃだったのを思い出しました。

そんな毎日を送っていた時、
それは、奇しくも私の誕生日でもあった日に、


娘が突然全身痙攣を起こし、
凄い高熱。全く収まる気配のない痙攣に、
すぐに救急車を呼び病院に搬送し処置をすることに。

すると、しばらく経ってから、
娘は大量に、もう、噴水のように吐血をし、 
呼吸も薄くなっている状態。
痙攣の体へのストレスで脳もむくみ、
胃にも大きな穴が開いているのだとか・・・。

医師は

人口呼吸をどうするか、とか、でもその場合のリスクが大きいからどうとか・・・。
いずれにしても明日まで持たない確率が高いから、覚悟をして欲しい。
最期にお別れする親族にも連絡をしてほしい。

と告げているのだけと、

何がどうなってるかもわからないまま、
あまりにも突然で衝撃的な宣告にひとしきり、呆然としていました。

それは、娘が5歳の時でした。

え??どういうこと?

死んじゃうってこと?

嘘でしょ??

なんだか時間の感覚も無くなって、どれだけ時間が経っているかもわからない
まま、酸素マスクを付けられ、酸素テントに入れられている意識のない娘の横
に座っていました。

でもそんな状態をしばらく過ぎたら、
一気に色々な感情が溢れて

私は5年間この子の何を見ていたのだろう・・・。

普通の子との違いばかりに目がいって、ないものに絶望して、
この子のこと何も直視していなかった・・・。

明日死んじゃうとか。。

だったら、もっと抱っこしてあげればよかった。

さきちゃんのちっちゃい手はいつもあったかかったじゃん。
だから、もっと頑張って生きてるね。って言ってあげればよかった。

もっと一緒に歌ってあげればよかった。

何ができなくても、この子は生きたくて生まれてきたんだ。

もっとさきちゃんに近づけばよかった。笑えばよかった。

と意識が戻らない娘の横で次々とそんな感情が溢れていました。

一方で、死ってこんなにもすぐ近くで当たり前に背中合わせにあるものだな。
とも思っていました。

生きてることってスゴイ。そんな風に思えたのを覚えています

その後3日経って、娘は奇跡的に意識を取り戻しました。

この出来事は、私のそれまでの傲慢さと、度量の無さを露呈させた気がしたのです。

自分の思い描いた理想の枠に我が子を押し込もうとしていたこと、
それが、かなわない事で、我が子を否定し、運命を恨み
絶望していた自分に気づきました。

そして、このことをきっかけに、もうこの子がこの子であればいい。
しかも、こんな目に合っているのに、この子は生き返るのだからよっぽど
生きたいんだな、と思ったのです。

人の手がないと生きられないくせにね。

でも、この時に、命であること自体が愛おしい。

そう心から思えたので、ぶつぶつ文句言ったりしながらでも、
娘の介助も受け容れられるようになっていました。

不便で不自由ではあります。でも決して不幸ではなくなりました。

むしろ、ありのままを生きるということを知って、
めちゃくちゃ心が楽しくなっていて

イレギュラーな子育てを面白がってみようかな。
なんて思い始めた感じがしました。

この出来事を境に
何があっても、世の中の常識がどうであっても
娘は娘であることを受け容れる事になり、
それは
私を縛っていた、常識や概念、規範から私を解放させて
私も私で生きるのだということを気づかせてくれたのです。

そう思えた時、私が死ぬほど苦しかったのは
娘の障害のせいではなかったのだと。
知る事になりました。

苦しかったのは、私の、”子供とはこうあるべき”という
思い込みに由来するものだと確認したのです。

いなくなっちゃえばいいのに。。

何度も思っていた時、私は実際には命が消えるはずはない。と
どこかおごっていたのかもしれません。

命が有限であるということなんて微塵も感じていませんでした。

それって、命に対してとっても、雑に扱っていたのだな、と思いましたし、
命に対して、本当に傲慢だったなと思ったのです。

だけど、娘が明日までの命ですよ。
と言われた時

どんな状態であれ、目の前に生きた命があること、
それは、当たり前ではなく奇跡的なことなのだと体得したのです。

命の限りを突きつけられた時、
ようやく、生きてるって、命ってと
その命そのものを尊いと思えました。

そして、どんな命でも、生きてる命と過ごしてる時間は
向き合うものに
必ず、メッセージを伝えているはずだとも感じました。

私も介助が必要でも、生きたがって
る娘から、たくさん大切なメッセージを
受け取ってきました。

あの時、いなくなってしまえ。
と思ったまま、本当に娘がいなくなってしまっていたら、
私は、娘が伝えてくれているメッセージも十分に
受け取れないまま、お別れしていたと思います。

せっかく、本当の私を生きろと伝えてくれているのに
それを伝えるために娘は生まれてきたのに
そんなことを受け取れないまま、
私は今ごろ他人軸で生きている人生を送っていたかもしれません。

なんども手術をしたり、
何度も救急車に乗ったりしながら
一生懸命生きている命に、感謝もできないまま
お別れしていたかもしれません。

この明日までの命と宣告された出来事は
娘の障害の受容を加速させ、
私の生き方を変えました。

冒頭の障害受容に悩むママ達の
悲痛な叫び。

このままでは我が子を死なせてしまいそうです。

お伝えしてきたように
そうなってしまう苦しい感じも本当に
よくわかるのです。かつての私もそうだったから。

でも、どうにもならない感情に飲み込まれてしまうのは重々承知の上で
あえて言わせていただくとして・・・。

もし、これを読んでくださって、
今、同じような苦しさの中にいらっしゃる方が、
なにかを感じてくださったのであれば、

少しだけ、想像してみてください。

明日、もしくは、あと数日であなたのお子様の命がなくなる
のだとしたら。。。

そこで何を感じるのか、
そうしたら、お子様をどう受け止めるのかを。

そこで、どう感じなくてはいけない。
というものでもないのだけど、

私から提案できるとしたら・・・・。

こんな感じです。

とりあえず、生きているひとつの命として
お子様を見てみるのではどうでしょう?

今、ここに目の前にいるお子様の命を
抱きしめたらどんな感じがするでしょう?

一瞬でもいいから、外界とは関係なく
何とも比較しない
その子を、その子の命そのものを包んでみたらどうかな?

いきなりそれが難しかったら、
一度深呼吸して、可能なら空を見上げてみたりして
リラックスしてみて、

それから、お子様にハグしてみたらどうでしょう?
お子ちゃまの肌の感じ、鼓動をちょっと感じて、どんな感じか感じてみてね。

なんて思います。