生まれた子供に
障害があると知らされた


その誕生は衝撃すぎて

気を失いかけた

「普通」に成長しないだなんて
絶望しかない

もう生きるのも辛かった

日々のケアに葛藤し
翻弄され続けて泣いていた

私(母)のケアの手を
少しでも止めてしまうと
この子は生きていけない

そんなプレッシャーに押しつぶされた

何度か
あと少しの命かもしれない
と、告げられた

そのうち
疲れ果てて
もうそれでもいいかも

と思えてしまった



でも

ある日

娘の意識がなくなり
本当にあと数時間で亡くなる
と言われた時

はたと

「生きてる命」に対して

私の思惑と違うからって
否定していたんだと気がついた

もっと

その命そのものを


何ができるとか、できないとか
いいとか悪いとか
健常とか障害とか

そんなの全く関係なく
ただただ命として

今を生きてることを尊び
抱きしめるべきだったと後悔した


私はこの子の何をみていたの?

どんなに世の中の常識から外れようと

どんなに私の常識から外れようと

生きようとしている
命であるのだと思い知った

生死を彷徨い
娘は生き返った

相変わらず独特な世界観だし
言葉はないし
全介助

私の物差しでは
理解不能

世にも不思議な子供には
変わりなかった

だけど

何だか、まだまだ
伝えたいことがあって
この子は生き返ったのだと思えた

次第にその超個性は
私の常識 、物差しを壊していった

それは

私がそれまで生きてきたあり方を
手放す恐れを伴い

ずっと「私」だと思い、すがってきた
思い込みの「私」を解体した

「私」という枠を
手放す恐れに
気が変になりそうだった

けれど

その枠の取り壊しは
私の本来の個性を解放することでもあって

私を私に還してくれた

そしたら

私は自分の本質を知り
私の根源との繋がりを
感じられるようになった

私が私であること
本質で生きることの自由と喜びを
娘の超個性が教えてくれていたんだ

誰もが
追い求める幸せは
結局そういうことだろう

そんな大切なことを教えてくれた
娘に対し

「命であること自体が愛おしい」

と、心から思えるようになった

命であることに基準なんてない

元々持って生まれたものが
何より豊かで美しい

ということも体得することができた

そして

どんな命だってこの世界を創造していく
一員だから

排除されていい命なんて一つもないし

役割のない命だって一つもないのだ

と、今思えている

障害児育児は
衝撃→絶望→葛藤→破壊→解放→受容

を経て至福へと連れていってくれた

とても素晴らしい経験だと
30年の時を経て胸を張れるようになった

今、障害のある子供を抱えて
絶望や葛藤の中にいるご家族が
色々と乗り越えた先に必ず至福があることを

僭越ながら、微力ながら
お祈りしたいのです

その障害児育児は
あなたの「生きる」に
必ずや豊かさをもたらすはずだと
思うからです

だから、向き合って
噛み締めて
感じて、乗り越えて

みんなが持って生まれたものを

それぞれが与えられた運命を

誇って輝きますように!

と願ってやみません

誰だって唯一無二!それが素晴らしいのです