世の不寛容に傷つくのなら 自分が寛容になればいい
差別とか、区別とか、偏見は
大なり小なり、
ずっとなくならないと思います
それぞれに自我があるし
それぞれに思考があるから
それは仕方ないと思う。
でも当然、極悪非道な暴力は
許せない。
今も昔も障害者をめぐる
いじめや
悲惨な事件はどこかで
起こっています。
(いじめは
障害者だけではないけれど)
最近ではあるミュージシャンの
学生時代のひどい障害者いじめが
取り沙汰されていて、
その内容が本当なら
あまりにも、卑劣で
虫唾が走る話でした。
優生思想が生んだ、歪んだ心の
闇がそういう形で現れるんだと
思えた典型的な例に感じました。
それを受けてしまった方々や
そのご家族の傷を想像すると
とてもやりきれない思いになり
涙が出ます。
だから、私も
誰かの心の闇が変容した凶器には
なりふり構わず戦うし全力で守る。
当たり前です。
なのだけど。。。
普段、日常で外側の差別的思考に
憤って、それをなんとかしないと。
と神経すり減らし、心の大部分を
そこに注力していると
その間に大切な「今」
「ここ」「私」を感じることを
見失っちゃうんじゃないかな。
それは違うんじゃないかな。
と思って、それは良くないな。
と思ったのです。。私はね。。
障害のある娘を持つ親として
私が一番大切にすべきことは
外側を嘆いて、
どうにかしようとする前に
今日も生きている目の前の命を
あなたがあなただから
可愛いのよ!
と言って抱きしめること
それを感じることです。
障害児を長年育てた親として
そりゃ、差別を受けたことも
信じられないような排除の言葉を
浴びたこともたくさんあったけど
でも、そうやって
娘といる今を感じ
命そのものが愛おしい。と
思えるその瞬間を
大切に感じてきたら
不思議と差別も近寄ってこない?
というか
弾くようになった気がします。
そしたら、思いも寄らず、
一緒に交わりましょう!
みたいな声をかけていただいたり、
娘と触れ合ってみたいと
言ってくださる方に出会ったり
そんなことが増えました。
自分の意識が満たされて
いくと、
同じように満たされたものを
引き寄せるというのは
本当なんだな。
とこの体験を通して
実感しました。
何事も
何かを変えたかったら
まず自分から。
そうして
自分を満たしたものが、
数ミリずつでも
周囲に波及していけば
いいなぁ。と思います。
世の中の不寛容さや
差別を許せない。と言って
そこに傷つく前に
自分の足元をちゃんと感じて
全て受け容れてみると
今ここにあるものに
感謝が生まれて
自分が満ちていきます。
そうなると
周囲の違いに翻弄されず
在り方の違いも
受け容れられるように
なっていくと思います。
そうそう。
自分が周りに感じること
って全て、
良くも悪くも
自分の内側の投影なのですよね。
このあたりの話はまたいずれ詳しく
書きたいと思います。
楽しく嬉しく過ごしたいものですね。
素敵な世の中になりますように♡