【第16話】「同じ境遇」「同じ痛み」の枠から一歩外へ

療育センターへ通うようになって

娘のあり方を
誰がどうジャッジして

どこに向かわせるのだろうか。

という事に疑問が湧き
そこで気づいたことを
前回書きました。

(前記事は→こちら

私が良しと思うことと
娘が向かいたいことが違っていいし

私が楽しい、幸せだと思うことが
娘にはそうじゃなくてもいい

私の当たり前が
娘のそれと合わなくてもいい

みんな違っていいんじゃん!!

ここに通って一年も経とうとしている
頃には

そんな思いが強くなっていました。

まだまだ激しい落ち込みも
あったけれど

娘、3歳過ぎ

20代後半の私、けっこうたくましくなってた(笑)

そんな事に気づきはじめた私は
障害児のママグループの交流にも
だんだんと
違和感を感じていくのでした。

療育のグループは

障害児を持つママ同士の交流の場でもあり

普段、誰にもわかってもらえない

特殊な子育ての悩みや苦しみを
シェアできる場


それが励みになると思っていたし
安心できるかと思っていて・・・。

心が弱っていたり
迷っていたりする時の励まし合いは
確かに元気になる気がしたけれど、

でも、この頃の私。

”大変さ”で繋がる関係の
励ましは一時的だとも
なんとなく感じ始めていたみたいです。。

世の中の常識に入れなくなった
障害児育児は
どうしても
孤独や不安に陥ってしまう時期があります

私も一時「私だけどうして?」
の思いに苛まれて抜けられなくなりました

この思いにはまっている時は
本当に辛く暗黒の時代。

そんな時

障害児を育てているママ同士が
交流することで

「自分と同じような悩みを抱えている人も
頑張っているんだ」

とか

「自分も感じている辛さを
みんな感じていたんだ」

などの情報を交換しあって

安心するのです。

けれど、

”同じ境遇”だということだけで
安心しあう関係は
それ以上でも、以下でもなく・・・。


だんだんと
建設的ではない気がしていきました。

冒頭で書いたように

療育センターに通い始めて
しばらく経つ頃には

みんな違ってみんないい!!

的な思いが芽生え始めていた私は

障害児を育てる親という共通点だけで
励ましあうという空気にも
徐々に疑問を持ち始めたのですね。

違いを認め合って
融合すればいいと思い始めていたこの頃

それは

世の中の”普通”という
同調圧力から解き放たれて

本当の自分を生きることの
スタートでもありました。

そうやって、せっかく”普通でなくては” とか
”みんな一緒じゃないと”という
枠がはずれ、

”私を生きる”という
スタート地点に立ったというのに

障害児のママの大変な子育てという
同調の中に納まっていくのは

結局、枠の中に自分を納めて
自分を守っているだけなのではないかな?

なんていうことを
感じてしまったのです。

体験、境遇はそれぞれ個々のもの。

障害を持った子の親だといっても

それぞれ個々の子供であり
みんな違います

同じカテゴリーに分類されても

個々で捉え方も違う。

一つのカテゴリーに
自分をはめていくのは

元々のもの
つまり本質を抑え込んでしまうのでは?と
感じていきました。

同じ境遇だから
分かり合えるとか

同じラベルというだけで
繋がっているつもりになっていると
本質同士のつながりを見失う気がするな。と。

そして、厳密に言うと
実は同じ境遇なんてないのではないかな、
とも感じていきました。

障害児を育てる辛さ
障害児育児あるある話で
同調するのはいいのだけど

その同調だけで
留まっていては
個人としての創造、成長を
阻んでしまう気がしたのです。

体験は個々のものだから
それぞれが
それぞれの与えられたことに対し

じっくり向き合って
苦しくても向き合って
そしてそれが
自分の血肉になってやっと

何を感じて
何を思うかを、
個々が出し合ったり

活かし合うのが
本当の分かち合いなのではないかと

徐々に思っていって

そしたら

障害児ママとか
健常児ママとか
子供のいない人とか
独身とか
年齢とか・・・色々・・。

そんなの関係なく

もっと自由に
もっと広い世界で

個々を尊重し合えばいいんじゃないの?

と。思いはじめたわけです。。。

障害児のママと言っても

その中でも、

重度には重度なりの

軽度なら軽度なりの

悩みがあるし

健常児のママには

健常児なりの

または独身であったり
子供がいなかったり

それぞれの立場で

それぞれの悩みがあって

当事者にとってみたら

どれも真剣

どっちが大変とかない。

人生は比較じゃないし

みんな個々、
それぞれの体験と向き合っているのです。

そんな思いを抱いた私は

このカテゴライズされた
枠から一歩踏み出してみる
行動を取るようになりました。

だいたい!
”障害児ママ”っていう
言葉も変だな、と、この頃思い始めたし
今も大いに思う。

それに
”群れる”とか”つるむ”のは
好きじゃないのです。。

この頃
こんな風に感じていた私は

その後

「私は私を生きる!!」

「そして、そこで感じたことを
娘と向き合うことのエネルギーに変換させて
いこう!!」

「みんな本質で生きて、
それを発揮しあって分かち合おうよ!」

ということを根幹にした生き方を選択していきました!

(続く)