【第3話ー②】「障害児が生まれるということは、望んだ子の死を迎えるのと同じ」
そんなこんなで
私は産後一週間だらずで退院になりますが
娘は、まだまだ退院はできません。
直接母乳をあげることもできず
産後のママたちが
新生児に当たり前におっぱいを
飲ませているのを横目にすると
それだけでも本当は
大きな声で思い切り泣きたい気持ち。
どうして私にはそれができないんだろう。
そんな思いがよぎるけれど
そこに触れると
ガタガタと崩れてしまいそうな自分を感じるし
私にはちっちゃくて必死に生きている
赤ちゃんが待っています
だから
そんなこと言ってられません。
少しでも多く母乳をあげたくて
一生懸命搾乳して
”搾りたて”を病院にいる娘に
届ける日々を送っていました。
そんな目の前のことに無我夢中でしたが
入院も長くなってくると
やはり、周りの子より小さいことや
なかなか、大きくならない焦りが
自分の中で膨らんでいたようで
優しく声を掛けてくれた
看護師さんに、思わず弱音を吐いてしまいました。
実は、先生の告知が衝撃的だったこと
でも、私は障害なんて信じていないこと
今、頑張れば絶対に普通に成長すると信じてること
を堰を切ったように
涙ながらに話していました
すると
看護師さんが
優しく話をしてくれました。
「赤ちゃんが生まれる時は
誰もが、元気な赤ちゃんが生まれるものと
疑いもせず
準備をしているけれど、
その赤ちゃんに
何か病気があると言われたりすることは
思い描いて待ち望んだ子の死を迎えたのと
同じくらいの衝撃を受けちゃうんだって。
だから、
ショックじゃないママはいないよ
死を突きつけられた時って
精神的に起こることに段階があるって
言われていて
最初衝撃を受けるけど
みんなひとつづつ
段階を経て乗り越えていってるの
NICUにいると
色々な赤ちゃんがいて
超未熟児ちゃんがいたり
当たり前じゃない赤ちゃんがたくさんだし
生まれてから
1年とか2年とか入院している子も
いるけれど
最初の衝撃から
ママ達、みんな
強くなっていくの。
この仕事をしていると
ママの強さってすごいと思うし
そんなママ達はステキなんだよね。
さきちゃんも頑張って生まれてきたんだから
さきママも素敵なママになるよきっと」
と、そんなことを
けっこうな時間を割いて
丁寧に話してくれました。
まだまだ若く幼い私は
その話を多分あんまり
理解できてなく
本当に随分経ってから理解できたのだけど
その時聞いたその死を突きつけられた時に
起こり得る精神の段階というのは
有名なキュープラロスの
精神の5段階の話だったのですね
振り返ると
私の辿ってきた道もまさにその通りでした。
①否認と孤立
何かの間違いのはず。
でも周囲はこの事実に基づいて考えを進めるため
孤立していく
②怒り
なんで私だけ
どうして何も悪いことなんかしてないのに
③取引
なんとかこの事実を回避できるはず。
もっとこうしたら良くなるず。
ドクターショッピングに邁進
④抑鬱
こんなに頑張ってもどうしてダメなのか。
やってもやっても報われず暗闇に入っていく。
生きているのが辛くなる。
⑤受容
怖いながらも
少しずつ現実が変わらないことが見えてくる。
普通を手放す恐れから抜けられる兆しをみる
娘が生まれて
障害があるかもと告げられて
数ヶ月のこの時期は
まだまだその事実を否認している
①の前半
ここから
数年かけて、受容にたどり着くまで
絶望や、葛藤、模索を交えての
辛く暗いトンネルの中の
旅が始まるのでした