【第28話】空白の一年。ゼロになり満ちる。深まる受容
いつも
内側、心のことを多く綴りがちなので
少々抽象的ではあるのだけど・・・。
今回も
障害児の娘を受容していく上では
まず、自分の本質を知り
自分を受容することが土台になる。
そこを知ると、
”普通”という同調圧力の中で翻弄されず自由に
自分を生き抜くことができる・・・。
そう確信が持てたのは
こんな時間を重ねたから・・。
ということを書いてみます。
===============
娘の幼児園を卒園後、
分離教育への違和感があり
養護学校(当時)への就学に躊躇して
就学猶予を選択。
娘と何もなくあてもない一年を
過ごすことにしました。
私自身
妻という鎧もなくなったし
ただの私としての
一年の始まり。
生活費はどうにかなるだろうと
根拠のない自信を頼りに
シングルマザーになって始めていた在宅の仕事も、
いったんすべて手放して
娘も私も何処かに属することから離れ
何者でもない
本当にただの娘と私としてだけの毎日。
それが、
初めのうちは
全く身動きが取れないのですね。
自由を手に入れたはずなのに
まるで不自由なことに驚きで
なんだか怖くなりました。
いかに役割上の自分や
思い込みや観念に自分をはめて
囚われの中で
生きていたかを痛感するのだけど
そんな時でも
目の前にいるのは枠にはまらない
存在そのものの、本物の自由人の娘。
そんな娘と
枠を外し始めた私との日々は
”ただ在る”ということを
段々と娘から享受していく。
そんな時間だったように思います

『〜しなければ』
『こうであるべき』ということに
自分を課すことが全くない日々
立場も、肩書きも、家庭も
社会的役割、経済活動など
全てを手放しゼロになるというのは
やっぱり痛みや怖さが伴うことだったけれど
思えば痛みというのは
纏っていたものを剥がず時や
自分の中の未消化なものと向き合う時の痛さ
(それが苦しいのだけど・・)
痛さから逃げずに向き合い
それをも受け止め切ると
本当の自分と繋がるということを
感得していったように思います
そんなことを感じた一年は
娘と共に、
まさに晴耕雨読の日々
お天気良く
気持ちが良いからお日様を浴びに行こう!
雨降りだからお家でのんびり
お歌でも聞こうね!と
そんな毎日
空の色。風の匂い。木々の表情。
雨音。季節の花々。
その時々に現れる色々な私。
色々な気を発する娘。
そこに理由付けもせず
余計な言葉に”生”を邪魔させず
ただただその日その時を感じるままに生きる。
そんな日を娘と繰り返しました

感じることが先で
それに導かれて行動していく時間を重ね
娘が常にそうであるように
あるがまま、本質で生きるということが
私の中でも確かなものになっていくのを
感じていきました。
すると、
ゼロに還るということ・・・
裸の自分・・・
そこに
すべての喜び、豊さがあるのだということを
体で感じ・・・というか確実に肚に落ちていくような。
そんな感じだったように思います
そういうことを体感していった私は
もう、外側で何が起こっても
この感覚を知っていたら大丈夫。
と揺るぎのないものを
いつしか
自分の真ん中に感じていたみたい。
その確かなもの
真我というのでしょうか?
本当の自分との確かなつながりを感じると、
自分を生きてるということに
絶対的な自信がついていました。
そして
それを体得した私が次に何をしたかというと
重度障害児とされる娘と、
この社会で生きていくために
世間の目をあえてたくさん浴びに行こうと
行動し始めたのです。
おそらく大多数の人が
”普通”という集団催眠?洗脳?にかかっているであろう
世の中に”普通”じゃない娘は
どういう風があたるのかを
肌で感じてみようと
どんどん外に出てみることにしました。

その間にどんなことに出会ったか、
その世間の目とやらは、どんなだったか
そこで何を感じたのかというエピソードは
次回お伝えするとして・・・
そう、この何もない空白の一年。
何者でもなくなった何もない私を過ごし
私の自己受容がさらに深まった気がしました
(完全じゃないけど)
自己受容にたどり着くと、
他者や出来事への受容につながって行く。
私と他者に分離がなくなり
個であり全体であることを知って行くのですね。
言い換えれば、まず自己受容に行き着かないと
他者や、外側の物事への受容には辿りつけない。
この空白の一年は、私が私の受容を深め、
娘を受容して行く流れが
とても明確になりました
そして、とても自由になりました。
いったん元々の自分
本来の自分を取り戻すには
この無の余白が
必要だったと思います
人生のインターバル?とかそんな感じかな?
何もない時間
何者でもない時間
そこに現れるのは
裸の自分という究極の豊さ。
それを感じられてから、
あるがままで生きる障害児の娘が
いかに豊かなのかをより強く感じられた。
そんな空白の日々でした
さあ、そうなったらもう無敵!
あとは面白がって
その”世間の目”とやらを
ガンガン体験することにしたのです(笑)
(続く)
