【第8話】私を苦しめるために生まれたの? だったら今すぐいなくなって! 虐待しそうな日々

さて、前回のお話で
いよいよ、障害児育児の暗黒時代への突入と
書きましたが。

本当に、ここから数年の出来事や心情は
最も辛く暗い時代だったように思えます。

なので、ここからしばらくは
重たい内容になってしまいます。。

娘は2歳を過ぎて幼児期に入っていましたが
相変わらずで
健常児とは、もうまるで別世界。

この幼児期、3歳過ぎるくらいまでは
まだ病名も診断されないことも相まって
障害受容ができず

ただただ、目の前の出来事に翻弄されて
日々のケアに必死になりながら
絶望や葛藤を繰り返していました。

そんな中

ちょうど2歳半の頃に
内反足である足の手術をします。

生まれた時の話だと

立ち始める頃、大体1歳前後で手術をして
曲がったくるぶしから先を直し
平に立つような訓練をしていく。

とのことで、立とうとする気配を待っていたのですが

一向に立ちたがる様子が見られず

であれば、手術をした後
立つ訓練をしていく
というように切り替えての手術

予定より1年半遅れてのことでした

術後、1ヶ月の入院を経て
娘の足は重い石膏ギプスでの矯正がスタートしたのです

週一回の通院の前の日に
両脚の足先から太腿まで覆われた
石膏ギプスを家で外さなければならず
それが1日仕事となり、かなりの重労働。

他にも
神経内科や眼科の受診などに追われていましたが

こうしてやらなくてはいけないことが
あるのは
それに没頭することで
気が紛れたからまだいいのです。

けれど、ふと手を止めると

この頃はますます感情が乱高下して
コントロールができない状態が襲ってくる。

そんな感じだったような・・。

そして
その頃、さらに
心をえぐらる出来事がありました

手術を終えて
重たい石膏ギプスで動きも不自由な娘に対しての

夫の両親の言葉。

それによって

私は深く傷つき
どこかに突き落とされたかのような
痛みを感じてしまったのです

「こうして、足の手術をしたら
立てるんだね?
立って歩けるようになったら
やっと親戚に見せられる。

それまでは親戚に会わせられないから

立って、普通の子と変わらなくなったら
本家に連れてきて」

と・・・。

え??何それ、どういうこと??

返す言葉もなく、というか出ず。

固まってしまうしかなく・・・。

例えようのない感情が押し寄せてきました

手術も頑張って
こんなギプスで不自由な姿をしている娘を前に

どうしてそんなこと言えるんだろう・・。

怒りとか、悲しみとか
が入り混じった感情を

泣きながら
夫にぶつけてみましたが

感情をうまく表現できません

「あの言葉ひどいと思う・・・。」と

やっと振り絞ってぶつけてみたのだけど

夫は、その言葉にどうして傷つくの?
と言って返してきました。

うちの両親はサキのこと思って
みんなに会わせない方がいいと言ってくれるんだ。と

こんなやりとりの後、

少しずつ壊れかけていた私の心は
一気に崩れた感じがしました。

まだ若く、娘のことに翻弄されて
心に余裕がない私には

夫の実家側との
在り方の違いにさらに傷つき

家の中にも、
味方がいないし

世の常識からは
弾かれていくし

誰にも分かってもらえない。

そんな孤独感に襲われていきました。

そして
そのどうしようもない感情の矛先は
徐々に娘に向かっていきます。

どうして、そんな風に生まれたの??

私を苦しめるために生まれたんだったら
今すぐいなくなって!

と、半狂乱になってしまうこともしばしば。。

そうやって私の感情が爆発すると

娘も火がついたように泣き叫びます

そうすると、さらに私の感情は制御不能になって

泣きさけぶ娘を押し入れに閉じ込めてしまい

私は、キッチンで耳を塞いでうずくまる。

そんな事を繰り返しました

またある時は

顔を拭いていた

ホットタオルでそのまま口を塞ぎかけたり。。

『私このまま虐待しそう』

そんなことがよぎるけれど、

そういう状況に陥るともうなかなか止められない

苦しく暗い泥沼の時代でした。

この時、私はいったい何と戦っていたのだろう。

娘の障害のせい?

噛み合わない夫のせい?

不幸なのはそれらのせいだと思って
どんどん地獄のような
感情になっていったけれど

1番の敵はもっと違うところにあったのですね

それは、幻のようで目には見えないものでした。

その後、娘と共に過ごす長い時間の中で
色々な出来事を経験し、段々と
私を苦しめていたものの正体がわかっていったのです。

(続く)