【第2話ー①】娘の誕生 衝撃的な告知
生まれてくる子への期待に胸躍らせながら
赤ちゃんの誕生を心待ちにしていた私。
妊娠中期から
胎児が平均の周期より小さいと
指摘されていて
出産予定日の1ヶ月半前くらいに
赤ちゃんが育つようにと
入院したりしました。
それだけでも
凄く不安で心配だったけれど
でも
私自身が未熟児(と言っても2400g)で
小さく生まれたからかな
くらいに思っていて
主治医の先生には
個人差ありますよね?
小さくても
生まれてから大きく育つ子って
よくいますよね?
なんて診察のたびに確認をしていました
そして
予定日より1日だけ早く陣痛が来て
いよいよ出産の日。
結局小さい、小さいと言われていたけれど
ほぼ予定日通りなんて優秀だし
小さく生まれて、
ママの負担を減らそうとしてくれているのかもね
と、そんな会話が家族の間で交わされて
みんなで笑っていました
1991年10月8日
その日は、10月上旬の割には
冬の到来を感じさせる寒い日で
私は厚めのニットを着ていたと
記憶しています
早朝から陣痛らしき兆候があり
その日の夜、8時7分に生まれました。
痛すぎて、頭がぼーっとした中で
オギャー!!
とうより、ミャー!と甲高い声が聞こえ
その瞬間、まだ性別を聞く前に
あ!女の子だ。とわかりました。
予想では、そのすぐ後に、
生まれたての赤ちゃんを
助産婦さんが胸に抱きかかえさせてくれて
「元気な女の子ですよ」
というよくある光景が展開されるものかと
想像していました。
が。
いつまで経っても
赤ちゃんの姿を見せてもらえない。
産後すぐの処置が終わり、少し落ち着いた頃
近くの看護師さんに
「赤ちゃんは?」と尋ねても
「今、処置中だからちょっと待ってね。」
と言ったまま
もう随分時間が経ったように感じました
そして
「赤ちゃん、やっぱりちょっと小さいから
保育器に入れて、今栄養を送ってるのよ」
との説明
「え??会えないんですか?なんで?」
と泣きそうになる私に、看護師さんは
「元気だから大丈夫よ。
でもちょっと小さいから
保育器に入らないとダメなの。
対面は明日以降ね」
「ママは疲れただろうから、
ゆっくり休んで、
痛かったら、すぐ呼んでね」
と言って、
結局赤ちゃんは新生児室には入れす。
NICU(新生児集中治療室)に運ばれたのでした。
実は、この時”異常”であろうことは
分かったらしく、そのことは、
別室で夫には告げられたようです。
(続く)