【第4話】遅れは今だけ いつかきっと追いつくはず
生まれてから約2ヶ月の入院を経て
娘をやっと家に連れて帰ることが
できました
この頃、目に見えての障害は
くるぶしから足の先が内側に曲がった
内反足と目の内斜視
それは
手術をすれば治るもの。と信じていました
生まれた時は
その想定外の告知も
当然ながら辛かったのだけど
この数ヶ月で、”治る”ことを
信じて、その点は受け入れられていました。
それに
入院中に何とか自力でミルクも飲めるように
なっていたりして
そのミルクを飲む量や体の動きは
いわゆる育児書からは随分ずれていたけれど
娘なりの成長
例えば
ちょっとでも新しい表情を見せた。とか
ちょっとでも手足の動きが活発になった。とか
ミルクを今日は昨日よりたくさん飲んだ。とか
そんな些細なことに
一喜一憂しながら
少しの変化を
成長してる!!と喜んでいました。
そんなことに喜びを感じるたびに
色々”平均”からは遅れているけれど
遅れているのは今だけ。
だって、日々変化しているし
きっと遅れながらもちゃんと成長して
何年か経った頃には
”普通”に追いつくはずだもの
と事あるごとに思っていて
「頑張って追いつこうね」
そう言葉をかけながら
まだまだ、”普通の子”になるという希望を持てていた頃でした
そう!
この頃は
それに加えて
恐らく、希少な染色体異常ではないか
という医師の見立てのもと
毎月染色体異常の検査をしていたのにもかかわらず
はっきりとした異常が見つからなかったのです。
もう
その検査というもの
結果を聞くのが怖くて怖くて
毎回、結果を聞きに受診する日は
朝から何も喉を通らないほど
それほど緊張と不安と恐怖と
戦いながら
検査結果を
聞きにいっていました。
生まれてからNICUに入院中も
検査をしていたのだけど
はっきりとした異常が見つからず。
それから、だんだんと
「精密なもの」と称しての検査になるわけだけど
生まれた時の検査で
何も異常がないんだから絶対大丈夫!
と言い聞かせ、神社に何度もお参りに行って
お祈りもしたりして。。。
そんなすがる気持ちで
結果を聞くこと数回でしたが
その度に異常なしをクリア!!
その結果が出るたびに、
全身のチカラが抜けて安堵し
涙を流して喜んでいました。
異常なし!
と言われるごとに喜んでいたこの頃は
娘のこともとても可愛いと思えていました
この頃は
”普通の子”を追い求めてばかりですね。
だって
子供って、当たり前に五体満足に
生まれるものだということしか知らないし
障害とか
そんな世界知らないのだから
無理もなかったです
どんな状態でも
この子がこの子であることを
愛する。ということなんて
まるで意味不明でした
そんなこと言われても
当時の私には
言語が通じないはずです
こうして
病名がつかないことに喜んでいましたが
月齢が進むとそれが余計に
娘を障害児だと受け容れさせない
要因にもなり
だんだんと苦しくなっていきました
(続く)